19 January

大学入試本番

センター試験が終わり、
昨日から私大医学部の入試も始まって
いよいよ大学入試本番の幕が切って落とされた。
大仰な言い方をしたが、
「本番」というものは不思議な力を持っている。
「模擬」「予行演習」ではあらわれない
それぞれの人間の実力の弱点が
露になるのである。
それだけに「本番」は自分の真の実力を測る格好の機会であり
そこであらわれた弱点を真摯に見つめて
改善の努力をすることである。
若いときに「本番」をくぐるという経験は大事である。
自分の弱点が本質的なものであればあるほど
それはなかなかに気付きにくいであろうし、
もしかすると自分ではその問題の本質を理解できない場合も多い。
それだけに見る目をもった人の力を借りてでも
若いときにそれを見い出し
適切な努力をすれば将来得る利益は大きい。
今始まった「本番」で思い切り自分をぶつけてみることである。
勝っても負けても
そこで得られるものは宝となるのだ。
23:06:14 | murataghs | |

13 January

没頭せよ!

いよいよセンター試験である。
今年の入試の本番ということで当然受験生には緊張感があるはずである。
しかし、それはそれとして
大事なことは目の前の問題に没頭し、我を忘れることである。
国語や英語の文章が
悲しい話であれば涙を流し
楽しい話であればつい噴き出してしまうくらい
のめりこむ事である。
そのとき自分の最大の実力を発揮できていることになる。
若者は怖気ついていてはいけない。
どーんといくことである。
怖気ついて失敗するより
強気でいって失敗する方が
悔いが残らない。
なあに、失敗したら
GHSが引き受けるから
どーんと行きたまえ!

23:09:41 | murataghs | |

02 January

新年、気持ちを新たに

新年明けましておめでとうございます。
昨年は大変な一年でした。
今年は良い年でありますように。
とは言え、元日早々震度4に近い地震である。
自然は容赦がない。
「良い年でありますように」と記したが
良い年になるかどうかを見守っていては仕方がない。
良い年にする覚悟が必要であろう。
自然災害、景気の激震、パンデミック・・・
何でもありうるのである。
その前では、私たち人間は弱い存在であるけれども、
無力であるわけではない。
やれることを最大限やる心意気が必要である。
人間の歴史は
こうした地獄図絵の困難を乗り越えてきた歴史であった。
人間には知恵があり、意志があり、絆の強さがある。
今年一年、
どんな困難にも立ち向かっていく覚悟を持とうではないか。
人間は一人では弱いが
みんなが覚悟を持って結びついたとき
人間の力はとてつもなく大きいのである。
古人曰く
「憂きことのなおこの上に積もれかし、
限りある身のちから試さん。」
そういう意気込みを多くの日本人が持てるならば
何が来ようと、
きっと今年はよい年にすることができるはずである。



00:01:51 | murataghs | |

25 December

今年も終わり

あと一週間で今年も終わりである。
かつてない大変な一年であった。
いうまでもなく未曾有の地震と津波で始まった一年だった。
多くの犠牲者を出し、
人々を襲った悲しさはあまりに残酷である。
生き残った私たちはこの悲劇を無駄にしてはならない。
個人の問題ではなく社会全体として
原点に立ち返って人間とは何かを見直し
社会のあり方を見直して
課題多き今の社会を立て直していくべきであろう。
残念ながら相変わらず足の引っ張り合いをして
時間と費用とを無駄使いしている政治家たちの動き、
省益優先の官僚たちの厚顔ぶりは醜いばかりである。
社会の構成員であるわれわれ一人一人が
それぞれの持ち場で動いていくしかないであろう。
そういう意味もあって今年育文社と協力しあい
『医大受験』(育文社刊)という受験季刊誌を
いくつかの塾との連携で発刊した。
現在書店に並んでいるのでぜひお読みいただきたい。
教育は国家百年の計である。
GHSは教育という場で犠牲者に報いようと思う。
そのうねりを来年はより大きくしていく予定である。
皆さまよいお年を!

15:43:57 | murataghs | |

17 December

声を掛け合うこと

先日女房とある食事の店に入ると大変な混雑である。
やっと二人掛けの席が空いたのだが
冬のこととてコート類を脱いでも置き場がない。
すると隣ですでに一人で食べていた中年の男性が
「ここに置いていいですよ」と
自分の向かいの席の椅子に置くよう促してくれた。
帰る段になると、自分がコートを置いていたところに
「ここ空きますから」とまた促してくれる。
私は田舎育ちであるから、田舎では普通の光景であるが
東京ではあまり出会わない場面であった。
とにかく都会は何かとぎすぎすしている。
最近の事件報道を見ていると
都会だけではないのかもしれない。
この男性のような
ちょっとした声の掛け合いが日常としてあれば
もう少し社会が円滑に動くのではないか。
人々のこころがもう少しなごやいで、
犯罪も自殺も減るのではないか、と夢想している次第である。
おそらくみんな声を掛けるべきだと持っているであろうし、
掛けたいとも思っているのである。
しかし、みんなが掛けないから掛けづらい
いかにも日本人らしい
そういういわば「遠慮のかたまり」状態を感じるのであるが
いかがであろうか?
以前あるマンションで事件が起こったときに
そこに住む若い女性が
日頃からあいさつを交わしあうマンションの雰囲気であったならば事件が防げたのではないかということで
マンション内ですれ違う人に声をかける運動を始めた
というニュースがあった。
まったく賛成である。
日本全体がそういう雰囲気になるよう
何か運動が始まらないものかと期待しているところである。
まずは手短なところから私も実践していこうと思う。
17:07:14 | murataghs | |